〝アイドルらしくないアイドル〟ってなんだ?〜序章 人数に対する圧倒的固執〜

どうもこんにちは、私です。

 

つい先日 私が現在最も応援しているジャニーズ所属グループ「Snow Man」が晴れてデビューを果たし、公開されたMVが1100万回再生を突破しました。

ティザー映像が公開されて2ヶ月と少し。

日に日に増える「初めてジャニーズにハマりそうです」「YouTuberさんの動画から来ました」そしてタイ語のコメント。止まらない再生数。

 

ずっと待望していた〝ミュージックビデオ〟〝自分達のCD〟〝デビュー〟 その夢を叶える瞬間の彼らが こんなにも雄々しく、凛々しいものかと感動しました。

 

今日お話するのは私がSnow Manに出会うまでのお話です。(長いよ)

このお話をさせて頂くためにこの文があまりにも長くなってしまうかと思いましたのでこのブログをシリーズとして「〝アイドルらしくないアイドル〟ってなんだ?」というタイトルでこれを軸に三部作程度で完結させて頂く予定でございます。(長いよ?)

自論と経験を絡めてお話していこうかと思いますので嫌になったら読んで頂かなくても結構です。私もしがない一般人に過ぎませんのでね。

ちなみに今回の第一章にあたります「序章」ではSnow Manはほとんど出てきません。(!?!?!?!?)

全部私の過去の話です。

 

先に言っておくよ?

これ、あんまり読まなくても関係ないよ

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今回は私がアイドルを応援することに対して、「一番恐れていること」並びに「恐れるようになったきっかけ」をお話させて頂こうかと思います。

 

 

 

私がこの世界に本格的に足を踏み入れたのは7年半ほど前

2012年夏のことです。

 

関ジャ二∞主演作品 映画「エイトレンジャー」

アイドルが、しかもジャニーズが、全員でヒーローものをやるなんて面白いじゃん

そう思って母に「観に行きたい」と懇願しました。当時某海賊アニメにしか興味がなかった私のその言葉を聞いて母どころか周囲の母の友人達までもが心底驚いていました(嵐の櫻井翔くんが大好きだったことを実は当時誰にも話したことはありませんでした)が、私にとって「王子様」でも「想い人」でもない、物語の名の通り人生を変えてくれる〝ヒーロー〟があの日出会った彼らでした。

 

知り合いに取ってもらったチケットで入った初めての公演は「関ジャ二∞ LIVE TOUR 2013 JUKE BOX」。ずっと憧れてた関ジャ二∞のLIVE。本人達に会えるなんて。席はドーム スタンドの63列ほどで正直良いとは言えない席でしたが、両親がプレゼントしてくれたアルバムを泣きながら受け取ったあの日から、車の中でセトリを見せてもらって当時自分の大好きだった一曲が入っていたことに喜んで、本人たちがそこにいるというもうその〝事実〟だけで私は楽しかった。ずっと画面の向こう側だと思ってた。その本人たちが目の前にいて、マイクで直に声が聞こえる。LIVE TOUR「JUKE BOX」はこれまでの関ジャ二∞の中でもかなり音楽性を考慮して作られたツアーで、上でもしっかり音が聞こえるように渋谷くん初めとしたメンバーが沢山考えてくれた音響設備やバンド曲の組み込み方が印象的でした。

その後私はまんまとファンクラブに入り、姉(と呼んでるだけで血縁とかないよ)に付き添ってもらって当時まだ紙だったチケットを握りしめてライブに毎年通いつめました(流石に次の年のライブでアリーナAの5列3番を当てた時は自名義の強さを疑った)。私は本当に7人のことが大好きで、関ジャ二∞というグループが大好きで、彼らの経歴も苦労もMCで話される酔っ払いながらモンスターを狩ってたくだらない話も何もかもを愛していました。

当時私の担当は丸山隆平さんだったのですが、どこが好きなの?と初めて聞かれた時の返答を今でも覚えています。

 

「自分を持ってる その生き様」

 

若干12歳の小娘にそんなことがわかるのか。

そう言われてしまえばそこまでですが、そもそも軽率に手を出した「ジャニーズ」というジャンル。映画「100回泣くこと」の宣伝でTOKIOカケルに出演していた顔のいい大倉忠義。それでも私はどんだけスベってもニコニコしているその神経の図太さ、めちゃくちゃセンチメンタルなのにそれを一切感じさせないよう明るく笑い飛ばせるスタミナ、「おいマル!」「お前全然オモロないやんけ!」と皆が爆笑しながらツッコんでしまうほどの彼の愛され力が大変羨ましかった。また、そんな光景を見せてくれる彼が心の支えになっていた部分もありました。

周りに流されてばかりで意見に左右されやすい心を持っていた私にとって、〝ジャニーズでただ一人〟だったギャグマシーンとしての先陣を切った彼は正反対の人間だったというところからその憧れや羨望は来ていたのではないでしょうか。

 

そんな私は高校生になり、関ジャ二∞と同時にもう一つのアイドルに着手することとなりました。

 

アイドリッシュセブン

 

私を語る上で今は追ってなくともこの存在は切っても切り離せないものなのではないでしょうか。

私がここで出会ったのはアイドルとしての〝キラキラ感〟

これまで応援していた彼らは一人の人間としてとても尊敬するべき人達であり、私の中で人生の道標の役割を果たしてくれていたような人達でした。彼らの人間性が大好きで、歌が大好きで、彼らとエピソードを共有することが幸せの全てだった。

 

しかし〝彼ら〟は言葉を話さない。話すとしても打ち込まれた文章を朗読するだけで、その声は所詮他の〝個〟のものに過ぎません。彼らの言葉は彼らの声から聞くことはできないし彼らの思いで紡ぐことすら許されないのです。

それでもこれだけ心動かされたのは何故だったのか。

 

〝画面越しでも伝わる

                圧倒的輝き

 

私はここが現存するアイドルとは全く異なった点だと思いました。

彼らは「造られた存在」なので、設定や過去のトラウマなどユーザーの好きそうな設定をてんこ盛りにすることなんて容易なことだし、心情の変化も場面が切り替わって作画が変わればその前のシーンでどれだけ落ち込んでいたとしても必ず〝アイドル〟の彼が表れる。それが私としてはとても新鮮でした。

 

「アイドルらしくない」

それは今まで私が応援してきた7人の男たちにとって最強の褒め言葉でした。それが正解だと思っていたしアイドルらしくなかったからこそ私の好きになるきっかけはそこにあったのかなとも思います。

 

アイドルに正解はない。誰かに好きになってもらうには自ずと誰かに嫌われなくてはならないのは仕方の無いことで、すぐコスプレをしてコントをしてローションまみれパンイチで出てくる彼らを「滑稽だ」「ジャニーズの恥晒し」と言い捨てる人達がいたのも確かです。

それでもステージ上でガンガンにギターを掻き鳴らしたり、ムービングステージでキラキラの衣装を着て踊ったり

彼らを追いかけてきて、そんな姿を沢山見せてもらって、今改めて思うのは本当に私にとって彼らは誇らしい〝推し〟であったことです。

胸を張って「関ジャ二∞が好きです」と言わせてくれていた7人、そして改めて今を生きるアイドルのアイドルたる所以を教えてくれたアイドリッシュセブンの7人にはとても感謝しています。

 

こうしてアイドルを「応援していて幸せになりたい」から応援していた私。そんな私の元に一通のメールが届きます。

 

「明日4月15日 午前10時より関ジャ二∞からファンの皆様へ大切なご報告がございます」

 

あの冷徹かつこちら側の疑問を一切聞き入れてもくれない文章を今でも忘れたことはありません。

事実予想はついていた。2015年「元気が出るLIVE!」にてそんな噂が立ち込めていて。それでも私達ファンは信じてこなかったのです。

 

ありえない。

関ジャ二∞を背負ってきた彼が。

関ジャ二∞の歌を誰よりも歌ってきた彼が。

関ジャ二∞のことを誰よりも愛してきた彼が。

 

彼によって名付けられた「eighter」という名前を持つファンは不安と先走る喪失感に眠れない夜を過ごしました。こんな時期にいい知らせなわけがないと。でもその〝最悪の事態〟なんて想像もしたくないと。

 

2018年4月15日午前10:00

送られてきたリンクの先

 

「この度 私 渋谷すばるは関ジャ二∞を脱退し、ジャニーズ事務所を退所する決意を致しました。」

 

そのアドレスを押したくなくて、でも押したらもしかしたら、なにか良い意味で期待を裏切ってくれるんじゃないかと。彼らはこれまでずっとそうやって〝エンターテインメント〟を届けてきてくれたから。そんな淡い期待はいとも簡単に崩されてしまいました。

 

歌の不安 楽器の不安 何より7人の不安

 

きっともうあの日以上に誰かを思って泣くことはないのではないかと思います。部活に行く前の制服をぐしゃぐしゃにして その場に蹲って泣きました。朝の自宅に私の泣き叫ぶ声しか響かないくらい泣きました。

それぞれのコメントが発表されて でもそんなの見れないくらい泣いていた。当事者の理由で納得できるほど物分りのいいファンではいられなかったのです。〝7人〟が、〝関ジャ二∞〟が好きだったから。〝7人〟じゃなくなることが〝関ジャ二∞〟じゃなくなってしまうことだと思ったから。

どうにかして部活には顔を出さなければと思ったので一旦そのページを無理やり閉じて、濡れた目をゴシゴシ擦ってバスまで走りました。泣き叫んでいる間にもうとっくにバスは行ってしまっていて、真駒内競技場前まで走りました。疲れとかなかった。「やるしかない」と思ってた。集合時間が特に指定されていた部活ではなかったことが今では唯一の救いだったのかなとも思います。

 

バスの中でもう一度リンクをタップしました。嘘だったら、これも何かの伏線だったら、そんな願い虚しくページ先には無機質な活字が並んでいました。ちなみにこれは関ジャ二∞に後々訪れる〝崩壊〟の伏線でしかありませんでした。

大倉の文だったかな。

「僕は彼の歌が好きでした。彼の話が好きでした。彼の後ろで ドラムを叩くことが好きでした。」

 

知ってたよ(号泣)

 

必死に上を向いて誤魔化しました。急いで飛び乗ったバスに座る席なんてなかったから。バスの中の人達にとっては「普通の なんの変わりもない 4月15日」だったから。

大事な人を失ったのなんてこの世界にいる66万人だけだったから。

 

部室で一人の先輩がTwitterを見ながら言いました。

「関ジャ二∞ 渋谷すばる 脱退 だって」

あぁ、朝10時にはファンにしか知らされていなかった情報がもう世間様にも広がっている。

なんなら彼らは記者会見まで開いていたのです。この日のために準備していたんでしょう?笑顔で歌いながら 楽器を弾きながら 裏では脱退を巡る話し合いをずっとして 記者会見の手配をしてきたんでしょう?

 

「そんなのどーせまた嘘でしょ笑」

そう言い放ったのは私の直属の先輩で部で唯一のジャニヲタでした。(Hey! Say! JUMP 有岡担)

現場の思い出を分かちあったりしていたその人は私がもちろん関ジャ二∞のファンであることなど知っていて、ねぇ?と向けられた目を私はその時見ることすらできませんでした。

本当なんです、朝10時にメールが来たんです

2人は私のことを必死に慰めてくれました。その時にはもう私は涙すら出せない状態でしたが、画面の中の、記者の前に座る横山さんは号泣していました。帰って記者会見の映像の出たワイドショーを最初から最後まで全部見漁って結局また泣きました。

 

そこからは本当に地獄の日々。訪れた渋谷すばる含む関ジャ二∞〝7人〟のテレビ最後の日 2018年7月8日の「関ジャム ~完全燃show~」の番組内でした。

ジャニーズとしては初に近い「円満退所」(形としてはね)ということでその前から様々なレギュラー番組や音楽番組で〝最終回〟を作って頂きました。2005年から歩み続けてきた13年間の〝7人での道〟を振り返って、最後に笑顔の集合写真が画面いっぱいに広がる。けどそれでも私は実感が湧きませんでした。あれだけCDショップを渡り歩いて昔のシングルを買い漁っていたのに、〝関ジャ二∞ 渋谷すばるの最期〟の声が入ったアルバムは買わなかった。

最後に彼らが選んだのはLIFE〜目の前の向こうへ〜。彼らが望み続けてずっと出したいと言い続けていたバンドスタイルで初めてリリースを許されたシングルでした。

涙で歌うことすらできない錦戸。

「あの日探した約束をずっと覚えているから 涙堪えて」そう伸びやかに歌いながら渋谷に手を伸ばす大倉。

あれだけファンの前で涙を見せてこなかった丸山でさえ下を向いてこちらに顔を見せることはありませんでした。

渋谷の涙を見たのは脱退の噂が流され始めた2015年「元気が出るLIVE!」大阪京セラドーム公演以来でした。

関ジャ二∞がデビューして14年。

グループ結成からはもう20年以上の歴史はたった4分の曲と共に静かに幕を下ろしたのでした。

 

それから一週間。来たる7月15日 「関ジャ二∞ LIVE TOUR GR8EST」の初日 札幌ドームでの公演です。

たった1日の1公演。とはいえ収容人数約5万人。FC会員のファン登録が一番多かった渋谷の脱退はかなりの痛手だと誰もが思っていました。

私もその一人です。関ジャ二∞が、6人で、どんなLIVEをするのか、不安と緊張に押し潰されそうでした。

「楽器が」「歌声が」「MCが」

そんな評論家気取りになった奴らを捻り潰してほしかった。またいつもみたいに。

それでもそんな我儘を叶えてくれなんて私は望んでもいなかったんです。だって一番傷を負っているのは彼らだから。本当はツアーを中止にしたっていい。だって一番愛していたメンバーがいなくなったんだから。それでも彼らは元気な姿を見せようと、〝今の関ジャ二∞〟を見せようと私たち以上の緊張と不安の募る心で来てくれた、それだけでよかったから。

 

そんな思いで開いたパンフレット。思い出のアルバム風の一冊。ペンライトは赤子をあやす用のカラカラ。ふざけとんのかワレ。

「6人と1人になったって関ジャ二∞は7人だから」

 

笑顔の写真の周りに思った言葉をたくさん散りばめたページ。安田のその一文がどれだけ支えになったでしょう。今思えばあれが私の〝関ジャ二∞のために流した涙〟の最後でした。今のところはね。

脱退したメンバーは腫れ物のように扱われて、まるで今までもいなかったみたいにされるのが今までのジャニーズであり芸能界でした。関ジャ二∞デビュー1周年のその日を迎えずに脱退した内博貴くんがそうだったから。

センターだったからというのもあったのかもしれない。関ジャ二∞を背負ってきた人だったからというのもあったのかもしれない。13年の歴史があったからというのもあったのかもしれない。それでも嬉しかった。ペンライトは前年通り7色を自分で切り替えるタイプではなく自然と色が展開していくタイプで、黄、青、オレンジ、緑、紫、白 最後には〝赤〟が来た。赤子用のカラカラのそこに含まれた意味は〝新生児〟として関ジャ二∞は新しく「生まれ変わった」という一つのメッセージ。会場には赤の服を来た子達も大勢いた。皆愛していたのだ。ファンも、メンバーも、彼のことを。

いつしか緊張はなくなっていて、「どういう姿を見せてくれるのか」という期待に胸を膨らませながら5分前コールをしていた。

 

登場曲は渋谷が脱退前最後にリリースした「応答セヨ」。大半を担っていた渋谷のパートは錦戸へ受け継がれていた。

1曲目が終わり、錦戸はムービングセンステのど真ん中で言った。今までは前列4人 後列3人 センターを分け合ってきた彼が〝関ジャ二∞の真ん中〟に立ち言った。

 

「虫歯を抜いたらその抜いた痕をベロで弄っちゃったりするじゃないですか?それです…今、その感じです。あっ、別にすばるくんが虫歯みたいな存在やったってわけじゃないですよ!? 皆さんも見慣れないと思います。僕らもそうです。でもきっと、慣れていきます。これから先この6人でやっていきます。」

 

今現在の感情はさておき、この時はこの言葉に本当に救われた人達が大勢いたと思います。私も間違いなくその一人だったし、何より〝彼の名前を出せる状況下にいた〟ことが心の底から嬉しかった。

会場中に巻き起こった〝笑い〟 伝えられた〝決意〟。その後6人でリリースされた「ここに」という曲があるのですがそのカップリングでメンバー全員が作ってくれた「All you need is laugh」という曲があるのですが、それが全てであったことをこの時知らしめられていたのだなと思います。

「必要なのは笑顔だけ」

この曲は「大阪」をテーマにして作られた曲ですが、常に大阪を「原点」と呼んできた彼ら。松竹座で1000人も埋められなかった彼らが五大ドームで1000万人を埋めることができるようになっても、8人が6人になっても、彼らの「故郷」は変わっていなかったのです。

 

私も間違いなくその一人だったし、何より〝彼の名前を出せる状況下にいた〟ことが心の底から嬉しかった。

この日、私は一番「関ジャ二∞を好きでよかった」と思いました。これ本当。どんな大きい仕事よりも、どんなかっこいいパフォーマンスよりも、「ジャニーズのアイドルとして当たり前のこと」「一年に一度必ずあること」それがどれだけ幸せでどれだけ信じられることなのかを知りました。どんな憶測よりどんな思い込みより彼らの言葉一つの方が強いのです。人生で一番楽しんだ。「LIFE〜目の前の向こうへ〜」では会場中のファンが泣いていたけど、私は泣かずにペンライトを握りしめて一分一秒彼らを見逃さないよう応援し続けた。

最後の最後 締めの挨拶はメンバー6人各々から。その時の丸山隆平さんの言葉を、私は今でも鮮明に覚えています。

 

「正直開演前はとても不安でした。

それでも、ステージが開いて、皆さんの歓声ががワーって聞こえて、

俺はなんて愚かなことを考えてしまっていたのだろうと。

こんなに素敵なファンの方々がたくさんいてくださっているのに、一瞬でも不安に思ったりして。」

 

人生でこんな素敵な担当に出会えて私は本当によかったなと思っています。現に今でも現場に行ったり、前ほど番組を緻密に追ったりはしていないものの、YouTubeで関東ローカルを見たり彼らは私の人生の中に間違いなくいます。

 

そんなこんなで〝ジャニヲタ人生〟の第一章に幕を下ろした私。次のお話では第二章、「様々なアイドルとの出会いによって考えたアイドル論」についてお話していきたいと思います。

 

ここまで7733文字。読んでくださってありがとうございました。軽率に開いたらこんな長文で本当に申し訳ない気持ちでいっぱいなので、貴方により沢山の幸せが訪れますよう祈っております。